富山,北陸,日本海,赤湯の里,料理旅館「きんかい」,TEL:0765(83)1870,FAX:0765(83)2078
「おいぼ」の魚拓

本文

1.7m
80.3kg
竿:トローリングロット 50ポンド
ハリス30号
ムツ針35号

昭和53年(1978年)
宮崎沖 約5km

水島あきあつ
現認者:宮崎浦漁業協同組合

(料理旅館「きんかい」所蔵)


幻の大魚「おいぼ」を追う!舌もとろける内臓料理


巨大なオイボを一本釣りするオイボ漁。
漁場はヒスイ海岸のすぐ沖。

6月13日午前3時半、夜明け前のヒスイ海岸沖約2キロに、宮崎浦漁協所属の小型船約加隻が集結した。
幻の大魚「オイボ」の一本釣りが解禁となる日である。

北陸自動車道朝日インターから約6キロ、新潟県境にほど近い朝日町宮崎で行われるオイボ漁は、夏の風物詩だ。
富山ではスズキ科イシナギという名の魚を「オイボ」と呼ぶ。
大きいものは体長2メートル、重さ150キロにまでなる。
ふだんは数百メートルの海底にいるが、6月から10月の漁期には産卵のため数十メートルの岩礁にまで近寄って来るのだ。

午前4時、一斉に漁が始まった。
エサは前の晩に釣っておいた生きたイカだ。
大きなオモリで一気に海底にまで沈め、オイボが食いつくのをじっと待つ。


水揚げは年聞わずか20本


今年最初のオイボを揚げた加藤さん。
生まれて初めて釣ったオイボは11キロだった。

エサを降ろして30分後、今年最初のアタリがきた。
地元の運転手、加藤政明さんの竿が真下に曲がった。
船が揺れる。
電動リールの低い回転音が海上に響き渡った。

「オイボ漁を初めて7年め。
やっと釣れたよ」。
約11キロのオイボを手に加藤さんは、興奮しきっていた。

「昔はl00キロを超えるオイボが何本も上がったが、今は小さいものばかり。
数も少なくなり年に20本ほどしか揚がらん。
オイボ漁は博打と一緒だ」。
富時浦漁協の竹谷祐春船頭会長は言う。

オイボの数が減ってから、漁は漁肺の仕事ではなくなった。
オイボ漁は今や生活のための漁ではなく、この土地の男たちの腕試しなのだ。


コリコリの刺し身、とろける皮


オイボをさばいて20年の水島さん。

ヒスイ海岸そばの国道8号沿いに建つ「ドライブインきんかい」は、宮崎で揚がるオイボの約半数を入手するオイボの店だ。
マスターの水島胤昭(たねあき)さん(54)は解禁日に揚がった4本のうち、14キロのオイボー匹を仕入れた。

「オイボは刺し身と皮がうまい。
エラも内蔵も捨てるところはどこもない」

水島さんは、オイボを手際良くさばいていく。
内臓を出し、エラの先から頭の部分を落とす。
内側に真っ白な脂の層を持つ皮も丁寧にはぐ。
身を少し付けた方が、おいしい皮料埋になるそうだ。



オイボ料理にかかせない皮を丁寧にはぐ。

オイボの刺し身は、コリコリとした歯触り。
ナマ臭さや変なくせはまったくない上品な味だ。
皮は軽くゆでた後、冷やして細長く切る。
酢みそあえで食べると、ゼラチン質がうま味とともに口の中にあふれだす。

あごの周囲のいわゆる「カマ」を、ぜいたくに塩焼きにしてもらう。
ぎっしり詰まった身は、淡泊そのもの。
大魚に似合わないきめ細かさだ。

かつては高級料理屋が夏の高級魚として競って買い集めたせいで、漁師の手元にはエラや内臓しか残らない。
しかし、これも今では幻の食材だ。
簿桃色のエラは、醤油味の吸い物。
胃袋、肝臓、真子などのモツは、甘辛く煮る。
どこもかしこも柔らかく、あっさりとしている。

14キロのオイボは刺し身や酢の物など約50人前の料理になる。
オイボ入荷を知った人が次々にドライブインを訪れ、幻の大魚はあっという間に、胃の中に消えてしまった。


白身で歯ざわりのいいオイボの刺身。

皮の酢みそあえ(手前左)
モツ煮(手前右)
カマ焼き、フライ、吸い物の
オイボ料理のフルコース。
オイボ料理は1人前2,000円〜。
品切れの日も多いので事前に確認が必要。
(北国新聞社/月刊北国アクタス/No.121,1999年8月号より)